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2022.03.11 小川 真由美

3・11

3月11日の朝、PCに向かって前場の準備をしながら岩本秀雄キャスターと色々な話をしました。

2011年の3月11日の話、それから11年の間の出来事。いろんなことを振り返りました。

あの日、あの時間、私は東京国際フォーラムで『東証IRフェスタ』のイベント司会をしていました。休憩中にやって来た突然の大きな揺れに、全面ガラス張りの天井や壁がきしむ音。会場はパニックでした。揺れが収まって徐々に情報が伝わってくる中、イベントの中断、家族の安否の確認、表に出て歩いて避難した光景。厚い灰色の雲がかかった都心の上空を行き交うヘリコプターに、割れたビルの窓ガラス。世紀末という言葉をぼんやり頭に浮かべながら、トボトボと人の列を辿りました。

帰宅後、グラスの破片や観葉植物の鉢などでグチャグチャになった我が家で、片付けもしないままコタツに首まで入り、呆然と見続けた大津波の光景と福島第一原発の事故。

忘れようとしても忘れられませんし、友人たちに聞いた話も鮮明に覚えています。

みんなを心配して自転車で息を切らして駆けつけたスタッフ、

社用車を妊婦や幼子を持つ母親社員に譲って自身は長い道のりを歩いて帰宅した先輩、

渋滞で動かない高速道路で近くの見知らぬ車の人と食料を分け合ったという話。

福島で自身も被災しながらも離れた土地にいる私を心配してくれた友人。その後、調査として体に蓄積する放射線量のモニターを付けられ憤っていたこと。

阪神淡路大震災の時に自分たちも助けてもらったからとすぐに救援物資を山積みにして車で支援に向かった関西の友人。

遠く離れた海外から救援物資を送ってくれ、募金活動の指揮を執ってくれた友人。

津波が迫っているから早く逃げてくれと必死にラジオから呼びかけ続けた同期のアナウンサー。

いろんな人の色んな話が浮かびます。

今回のウクライナの惨劇を受けて、70代を超えた人たちが昔親や年配者たちから聞いた戦争の話を最近よく話す光景に出会う、という話を聞きました。

戦争を経験した人、それを直接聞いた人にしか分からない恐ろしさ。きっと思い出したくない辛い記憶を私たちに語ってくれた先輩たちがいるように、震災を体験した私たちにしか分からない恐ろしさ、悲劇を後世に伝え続けていくことが私たちの使命なのだと改めて思った11年後の3月11日です。